2011年2月26日土曜日

今日の研究

サタンについて考えた。

ルシファーは創世記のへびかな...

IIペテロの「明けの明星」の使い方、頭を悩ませる。

ヘビとキリストは、対等で対決対象を言い表してる...(へびの子はかかとを噛み、人の子は頭を砕く)


あと、神の子たち(創世記6)、悪魔、レギオン、現代の悪霊現象....

これを考えるとやはりルシファー(明けの明星)とへびは違うのか....ルシファという大天使が神に対抗し、その軍団が堕天使となり、悪魔となったのか....

2011年2月23日水曜日

久々の聖書研究マタイ19:3-12

ブラジルの友だちに、『「生まれたときから王様に仕える人がいる」ということを教えてほしい。』
と聞かれ、はじめよくわからなかった。なぜなら、日本語では独身者と訳されているから。

その箇所はマタイ19章。たぶん、聖書に懐疑的な人に聞かれたのだろう。

「生まれながら去勢された人があらわれることをイエスは肯定した?」と。
その質問をぶつけてキリスト教を信じない理由にしたいのか....

この前後の文の流れをつかみ、そして、イエスがなぜこう言ったかの目的をつかむ。

この話の全部は19:3-12。「どんな理由があれば、離婚は律法にかなっているか?

とイエスに聞くことによって、イエスを試したところから始まる。なぜ、この質問がイエスにとって試練になるのか...

たぶん

当時の多くの男たちは、離婚を肯定していたと思われる。
で、厳しいことを言うと、イエスの人気は落ちる。

逆に、離婚について肯定したなら、イエスは不道徳な者だとして、これもまたイエスを痛めつけることができる。


イエスの答えは、「神さまの計画に離婚はなかった」マタイ19:4-6


パリサイ人たちは、自分たちが想定した答えをイエスが言わなかったので「じゃ、なぜ離婚についての掟(おきて)がある?」と聞いて、イエスの答えを引き出そうと言い寄った。
→ここでイエスの結婚観が明確になっている。安定した夫婦関係を築くことが神の計画。
強く健康な国家や社会を作り上げるのは、家庭だと思う。決して進化した社会関係ではない。
父母を離れた成熟した人格者が、二人は一体となるのだという神に誓う誓約をもって硬い絆を築く。
そんな二人のもとで神の教訓と愛と知恵によって育て上げられる子どもたちが生まれ、麗しい家庭が生まれる。
これこそ、原則であり変わることがない。それをいくら崩そうとしても道は険しくなるだけだ。


イエスの答えは、「人間がガンコだから、仕方なくある掟だ。」「妻が男を買わないかぎり、離婚して別の妻をめとれば姦淫を犯すことだ」
→当時の男女の関係は、圧倒的に男性有利。女性は家畜と同等だった。イエスは、男も女も平等の理由なしに離婚してはいけない、と言った。
キリスト教は、男と女を差別するという人たちがいるがそうではない。イエスは、逆に革命を起こし、弱い人たちを解放してきた。
聖書が示す男性と女性の在り方を否定し、新たな枠組みを作ろうとする人たちのキャンペーンだろう。しかし、真実は機能する。
たとえ真実が偽りであるかのように言われ、枠組みから外れ自由を得ることが大切であるように言われようと、
その枠組みから離れた考え方は偽りで、機能しない。

この答えに、イエスの弟子もおどろいた(マタイ19:10)。(この発言で分かるとおり、当時はそうとう男性の権利が強かった)


イエスはさらにみんなを驚かせる答えを言う。

「この掟を守らなくてもいい者は去勢された者だ。」

意味は2つ
1.この結婚の悟りを受け止めることができないなら去勢せよ
→離婚できる結婚のように、情欲におぼれたものをするならちょんぎってしまえ。というほどに、情欲をちゃんとコントロールして、愛する相手に仕える道具にするように。
そして、安心した夫婦関係を築くようにチャレンジしている。そうすることで、幸せな家庭を築くことができる。それが、はじめの神様の計画だ。
2.去勢は、神さまがする。
→モーセの律法に、去勢された者(うまれつきも仕事上しかたなくも)は神さまを礼拝する場所に入ることができない、となっていた。それで、みんなに差別されていた。
しかし、イエスさまは、それらの人を「神さまがそうした」と言って、人権を与えられた。これはユダヤ社会で大ショック。昔のアメリカで黒人に人権を認めた運動に近い。


◆このように、社会で差別されて弱い立場の人たちを救ったイエスの姿が描かれている。家畜のように扱われた女性たち。社会的に差別されていた障害者や宮廷に仕える人たち。


今度は、じゃあ、神さまが生まれつき性器を機能させない人を造るのか?!というポイント。

イエスの弟子が、「結婚しないほうがまし」といった言葉に対して、

その言葉が言えるのは去勢した人だけだ。とイエスが言った。

去勢する人には以下のタイプがある、とイエスが言った。

1.母の胎内から、生まれつきの人。
2.人からさせられた人。
3.自分からした人。(天のみ国のために)

前にも言ったけど、生まれつき子どもを造ることができない人は、社会から差別されて、弱い立場だった。

それを、3.のタイプの人がいる、と言うことによって去勢された人と機能不全で生まれた人の立場を引き上げたと感じるね。

つまり、自分から神さまのために去勢する人もいていいと。そう言うことによって、1.2.の人たちと3.の神さまのために去勢する人を一緒くたにする。

そうすると、

3.の人たちのように1.と2.の人たちも素晴らしい神さまの計画を持った人たちだと宣言した。これがイエスさまが言いたかったことだと僕は思う。



生まれたときから去勢した人がいる。ということはつまり、「神さまが去勢した」ということになるのか、という問題。

ぼくはそう思わない。

神さまのもともとの計画は、人を完全に造られた。人の罪のゆえに生まれつき障害を持つ人がいると考える。

人が罪を犯し、死が入ってきた。そして病も。創世記には呪われた。とある(創世記3:14-19)

この世にはDNAの段階で障害があって機能不全で生まれる傾向もある。

それは、私達が音楽や用紙をコピーしたときにコピーは前のものよりも質が落ちるのと同じ。

今の研究結果では、DNAを調べればこの人が、どんな弱さを持っているか分かるらしい。

しかし、結婚差別も起こりかねないのでそのことはあまり広げていない、とテレビで言ってたことがある。

ただ、子どもを造る時は、男と女で造る。そうすることで片方がもう片方のエラーを補うようにできているそうだ。

だから、障害者通しが結婚したり、身内で子どもを作ると障害を持った人が生まれやすくなるのは、エラーを補うことができないからだ。似た者なので同じ弱さを持っているので補えない。


はじめのアダムとエバは完全なDNAを持っていたのでその子どもたちも、完全なDNAを持っていた。

だから、兄妹通しで結婚しても立派な子どもが生まれていた。

しかし、アダムとエバは罪を犯したのでエラーが起こる呪いも起動しはじめたと思われる。

生まれたときから、臓器に障害を持っているケースは、たくさんある。去勢だけではない。

じゃ、それは神さまがしたのか?

僕は、この責任は人間の罪にあると思うが、しかし、イエスはそれは神さまがやったと言われた。

つまり子どもがしたことを親が背負ってくれた、と同じようなことをイエスがやってくれた、と考える。

アメリカでは、障害者をチャレンジャーと呼ぶようだ。つまり、「神さまから挑戦を受けた人たち」

私は、イエスのこの言葉によって、「神はひどい人だ」あるいは「失敗する神」と理解することは、悲しい人だと思う。そのようにも取れるだろう。


考えてもらいたい、この世には同じ言葉と状況でも、プラスの意味にも取れるし、マイナスの意味にも取れるものがある。


僕は、この生まれつき去勢された人がいる、と言った意味は、

生まれつき障害者も神さまの素晴らしい作品であり、神さまに愛された人だという祝福である。

また、人の罪によって生まれた病さえ、神さまが責任を負ってくださっている。恵みである。

そして、そこには神さまのご計画があり、価値ある人生がある。



人の中には、障害者を生まれる前から調べて、殺してしまう。人たちがいる...

老人や能力の低い人を社会から追い出す。彼らには生産性がないから...

こんな感覚を持った人がたぶん、「生まれつき去勢の人」をなぜ生まれさせるのか?と疑問に思うのだと思う。

しかし、自分に目を留めてほしい。自分はどうか?完璧か?社会の役に立っているのか?欠点はないのか?

だれでも弱さを持っている障害者だ。だれでも汚い部分のある罪人だ。それを神はなぜこのように造った?と呪う人生は空しいな...


こんなわたしたちひとりひとりを、神さまは愛し、素晴らしい賜物(たまもの)を与えられ、召し(生きている目的)、価値を与えられている。

よって、生まれつき去勢された人という意味は、

人の罪のために障害をもった人たちが生まれてしまう。

しかし、神はその責任を全部背負ってこう言う「わたしがそのように造った」と。

そして、ひとりひとりに、神の子どもという素晴らしい価値を付け、賜物という能力を与え、召しという生きる目的を示している。

です。

ゆう

2011年2月21日月曜日

個人の幸せと公の幸せ

5人を助けるか、1人を助けるか。

そこには、全体の幸せと人権の尊重というどちらも正しい摩擦がある。

自分を犠牲にしてまで、周囲のために生きるべきなのか....

もちろん、社会では自分の幸福だけを求めていては決して生きていけないし、幸せになれない

私の到達した考えはこうだ。

「自分の幸福を放棄し、創造主の御心に生きる。神は私を愛し、私を祝福してくださる」

2011年2月19日土曜日

年輪牧会

光文社「年輪経営」 塚越寛(著)を読んでる。

教会も同じ。急な成長は望まない。

ひとりひとりが真のキリスト者をめざす。

2011年2月18日金曜日

覇権なき中東

武力や権力、経済力ではなく、誠実さと勤勉さ、そして数えきれない日を重ねて得た技術で、平和を実現する。

それは、仕える姿勢、与えることを喜びとする、公の益のために、という崇高な生き方でしかできないだろう。

この世ではなく、永遠に生きる生き方。ゆるされた罪びとであるID。

そのような人物たちによらないと実現しないだろう

2011年2月8日火曜日

娘の成長

今夜は、JCMNサミット2011の下準備を数名でやった。

そこで、奥さんに夜食を作ってもらいみんなで食べた。仲の良い大家族の食事のひと時のように、

とても楽しいときだった。

そこで、娘がオレに食わしてくれるしぐさをしだした。

「ああ、娘がまだ7か月くらいの時にやってたことおぼえてたんかな、」

って思うほど、俺が娘に手で食べさせてあげるようにおれにくわせてくれた。

みんなの前で恥ずかしい思いもあったが、赤ちゃんがパパに食事を食べさせてあげるという

奇妙でいて心暖かまる、子供の成長を感じる幸せな時を、二人で満喫した

2011年2月7日月曜日

名古屋で政治的確変

名古屋で大きな政治の流れができた。

既存の政党では、勝てない。

また、減税としがらみの駆除で徹底予算削減。

ええ路線が始まろうとしてる。

俺の過激な考え。

ロシアや韓国と連携して、両方の行政が監理する地域を作る。(北海道と九州で)

そこに住む人たちはどの国の市民権を得るか選択できる。

そうすると、国の自由市場ができあがって、自然とスマートで有意義な行政サービスがうまれないだろうか

2011年2月6日日曜日

何か作り出すことを忘れない

現代写真論シャーロットコットン著者を読んだ...

多くの写真家が、あらゆる表現方法を試していること

社会や人について深く考えていることを実感した。

『何かについて深く考える。

そこで得た洞察を何とか表現する。』

ことにチャレンジすると毎日が楽しくなる

2011年2月4日金曜日